「どうしよう。完全に迷った……」
白髪の少年――嵐山ハクトは溜め息を吐きながら、困った表情をする。白い短髪に真紅の瞳をして、背の高さは中学生の平均身長よりやや高い方である。濃い紺色のブレザーに灰色のズボンを着て、足元まである黒いマントを羽織り、その後ろには白い円形の魔法陣が描かれている。
知っている場所なら、決して迷う事はないのだが、現在ハクトがいる場所は、今まで住んでいた場所とは遥かに違う所であるから、右も左も分からない状態に居る。つまり迷子である。
彼がいる場所は王都シャインヴェルガと呼ばれる大陸随一の中立国である。人口は約2900万人もいて、特に貧富の問題なく無い平穏な国である。だが、あまりにも広い場所であるため、ハクトは目的地を探すのに、既に一時間は掛かっているのだ。
「本当にマズいぞ、これは……」
ハクトは右ポケットに入れている通信端末を取り出すと、時刻は7時50分。目的の場所である魔法学校に着くには、あと40分しかないのだ。このまま迷っていたら、完全に遅刻である。
「せめて、地図さえあれば良いのに……」
迷った時には地図が必要。それは当然であるが、これまでで地図が載ってある所など見かける事は無かった。そして、シャインヴェルガに来る前に母親から渡された地図をもう一度見る。そこにはまるで幼稚園児の落書きの様に地図が書かれていて、左斜め上に矢印で『ここだよ』と書いてあるだけである。最早、何の役にも立たないであろう地図をクシャクシャにして、近くのゴミ箱に捨てたくなるぐらいハクトは自分の母に怒りを覚える。
そもそも、ハクトがシャインヴェルガの魔法学校に通う事になったのも、母親の手続き違いであった事から始まったのだ。しかし、もう手続きも終えてしまっている上に、ハクトはまだ中学生であるから、義務教育が終わっていないので、中等部からの外部入学をするしかなかったのだ。本来ならハクトが住んでいた国の中学校に通うはずなのに、どうしてこんな事になってしまったのか、自分の運命に本日何度目かの溜め息を吐くしかなかった。
「まぁ、もうここまで来た以上、ぼやいていても仕方がないか……」
まずは自分が今どこにいるのかだけでも分かれば良いのだけど……
少女はただ道を歩いていただけであった。しかし、いつの間にか三人組の男子に囲まれている。
「弱い奴が、こんな所を歩いているんじゃないよ!」
「そうだそうだ!」
三人組は少女を囲むようにして罵倒する。それを見ている人達もいるが、誰も少女を助けようとしない。見て見ぬフリをするだけで、誰も助けようとしない。
「お前の様な弱虫がいるだけで、この国の邪魔なんだよ」
一人の男子にそう言われると、少女は少しだけ涙を零してしまう。泣いた所で誰も助けてくれないのは分かっているけど、やはり自分は弱虫なのだと思ってしまう。
三人組も少女が泣きそうになったのを見て大笑いする。そして、少女を囲んで「泣き虫の弱虫」と言い出す。見ている人達も同情だけで誰も助けない。
その時だった。コツンと三人組の一人の頭にカンが当たり、髪にカンの中身が掛かった。まだ飲みかけのカンを投げつけて当てられたみたいだ。水ならまだ大丈夫だったが、炭酸ジュースだから性質が悪い。
「だ、誰だぁ〜!? カンをぶつけた奴はぁ〜!?」
ぶつけられた男子は怒りが爆発したみたいに周りに怒鳴りつける。周りの人も自分じゃないと首を横に振る。
「あぁ〜、悪い悪い。それ、俺が投げたカンだ」
カンを投げたのはハクトだった。彼は笑みを浮かべながら全く反省の色を出していない様に謝っている。もっとも、ハクトは反省する気は無いみたいだ。
「どこ狙ってるんだよ!? ちゃんと空き缶入れに捨てろよなぁ!」
「ちゃんと狙ったはずだけど。ほら、そこにあるだろう」
ハクトが指した所には、確かに空き缶を入れるゴミ箱があった。
「俺はちゃんと狙って投げたのに、君から入ってきたのだろう。なら俺に過失は無いって事でしょう」
当然の様にハクトは言うと、周りの人達も納得する。しかし、屁理屈を言われていると思った相手はハクトに詰め寄る。
「ふざけるんじゃねぇよ! お前、誰だ!? 名乗りやがれ!」
「……あのな。人に名前を聞くのなら、まず自分の名前を言うのが普通だろう。それとも、ここでは相手に名乗らせてから、自分が名乗るのが常識なのか?」
相手を小馬鹿にする様に首を横に振りながら息を吐くハクト。その表情にますます怒りを覚える三人組。
「ぶち殺してやる!」
すると、三人組の一人(ハクトにカンをぶつけられた方)が、両手を前に突き出して、呪文を詠唱し始める。足元には円形の赤い魔法陣が現れて、手の平から野球ボールサイズの小さな炎の玉が現れる。炎熱系の魔法では初歩の中の初歩魔法である。周りの人達は魔法が飛んでくる事を知り、慌ててその場から離れていく。
しかし、ハクトは彼らの横を通り過ぎて、少女がいる所に向かう。
「ごめん、悪いのだけど。ちょっと道を教えてほしいのだけど……」
そう言って、両手を合わせてお願いするハクト。
「えっ? あ、あの……」
少女はただ、今起こっている状況に対応出来ずに頭が混乱している。どうして、この人はあの三人に聞かずに自分に訊いて来るのか解らなかった。
それは三人組もそうだった。既に自分達など眼中に無く、少女に声を掛けるなんて、最早完全に頭にきている。
「死ねぇぇぇぇぇ〜〜〜!」
呪文の詠唱を終えた男子が、ハクトを狙って炎の玉を放った。それに気付いていないのか、ハクトは全く振り向こうとしない。少女は危ないと叫ぶが、もう手遅れだった。炎の魔法はハクトの目の前で爆発した。完全に直撃を喰らった筈だ。あれで生きてはいないはずだと三人組はお互い合図もせずに一斉に笑い出した。少女は自分の所為で彼を巻き込んでしまった事を後悔する。
「何だ……この程度かよ」
少女は目を疑った。煙が晴れて現れたハクトの姿には、怪我どころか火傷の痕も無かった。
「君は大丈夫? どこも怪我していないか?」
自分の事よりも相手の方を心配してくれるハクトに、少女は「大丈夫です」と答える事しか出来なかった。
「な、何をしたんだ、あいつ……」
「野郎ぉぉ〜!」
さっきと同じ様に炎の魔法を出して、ハクトを狙った。すると今度は、ハクトは彼らの方を向いて、右手を前に突き出すと、円形の白い魔法陣が現れて、炎の魔法が魔法陣にぶつかっている。
「シールド魔法……」
少女が言った。魔法防御系の魔法で主に物理攻撃や魔法攻撃などを防いでくれる。ただ、その力にも個人差があり、若輩物の魔導師が使ったら、すぐに壊れてしまう。だが、ハクトが出したシールド魔法は簡単には壊れないみたいだ。そして、防がれた炎の魔法はその場で爆発するが、ハクトにはもちろん後ろにいる少女にも傷一つ付かなかった。
「さて、これで二回目……そろそろしても良いかな」
ハクトはシールド魔法を消すと、今度は三人組と同じ赤い魔法陣を出した。そして躊躇いも無く炎の魔法を放った。三人組から狙いを逸らせて、そのまま上空に上がっていった。
「反撃」
微笑むハクトは、もう一度炎の魔法を出そうとしている。
「「「ひ、ひぃぃぃ〜〜!」」」
三人組はハクトに恐れをなして脱兎の如く逃げていってしまった。周りにいる人達も問題がなくなったことを知ると、散り散りになっていつもの光景に戻っていった。
そんな中、少女はただハクトを見つめているだけであった。
「まったく……弱い者いじめをするなんて、最低な奴らだぜ。見て見ぬフリをしている人達もだけど」
ハクトは、少女とあの三人組の出来事を少し前から見ていた。魔法学校を探している途中で偶然見かけて、周りの人達の様子を見て、近くにあった自販機で缶ジュースを買って投げ付けたのだ。
「あ、あの……あ、ありがとうございます……」
頬を少し赤くして、恥ずかしそうな表情でお礼を言う少女。桃色の肘まである長髪に緑色の瞳をして、背はハクトより低いが、普通の女子中学生の平均と同じぐらいではあるだろう。白地のフリルの付いたブラウスに、薄い桃色のロングスカートに茶色のブーツの少女。
「別に良いよ。困っている奴は放っておけないお節介さんなだけだから」
自分で言っていて恥ずかしくなってくるハクト。今までそんな事なんて、一度も無かったのに、どうしてか助けたくなってしまったのだ。
「あの、何かお礼をさせて下さい」
少女はもじもじと恥ずかしながら、ハクトに言った。
「わ、私じゃあ、大したお礼なんて出来ませんけど……あの、その、えぇと……」
少女の声が小さくなっていき、俯いてしまう。ハクトは何かお礼がほしくてやったのではないと言おうとしたけど、少女がここまでしてくれている以上、無下には出来ないと考えてしまう。
「お礼と言うわけではないけどさ。さっき道を教えてほしいと言ったけど、良かったら教えてくれないかな」
「あ、はい。どちらに行きたいのですか?」
「魔法学校を探しているんだけど」
未だに魔法学校がどこにあるのか、そして自分が今どの辺りにいるのか分からないハクトは、地図が無いのなら人に尋ねるしかなかった。しかし、人に訊こうとしても誰に聞いたら良いのか悩んでいた所に、先程のやり取りを見かけたのだ。
「魔法学校ですか?」
少女は不思議そうに首を傾げる。少女はハクトの服装を見て、魔法学校の制服を着ているから、魔法学校の生徒であるのは分かっていたけど、まさか学校を知らないなんて思わなかったからだ。
「いや、道を教えてくれれば良いんだ。別に案内までしてもらう事はないから」
「あ、いいえ。そんな事はありませんよ。ですが……」
少女は少し考える。時計を確認すると、既に8時ちょうど。ここからなら魔法学校までは、そんなに掛からないはず。しかし……
「ごめん。何か用事があるんだよね。他の人に訊いてみるよ」
ハクトは、恐らく少女は今日何か用事があるのではないかと考えてしまう。そうならと、少女にこれ以上時間を取らせるわけにはいかないと思い、その場を去ろうとする。
「だ、大丈夫です。わ、私が案内してあげます」
少女は立ち去ろうとするハクトの手を掴んだ。
「えっ? その、良いのか?」
女の子に手を握られるなんてあまり無かったハクトは少し頬を赤くなる。もちろん、握った少女も顔が紅潮していく。男の人にこんな事をした事など少女は一度も無かった。
「わ、私で良かったら……」
「そ、そうか……それじゃあ、お願いしようかな。あっ、えぇと……」
そう言えば、ハクトはまだ少女の名前を知らない。
「あっ、ごめんなさい。まだ名前を言っていませんでしたね。私はクリス・ラズベリーと言います」
「ラズベリーか。俺は嵐山ハクトだ。ハクトで良いから」
「ハクトさんですか。分かりました。あの、それじゃあ、私の事も、クリスと呼んで下さい」
クリスは少し恥ずかしそうにお願いする。
「あぁ、分かった。それじゃあ、お願いするね、クリス」
「あ……はい!」
クリスは嬉しそうに笑顔になる。その顔に、ハクトは少しだけドキッとした。
握った手が離れて、クリスはハクトを案内してあげる。
シャインヴェルガには魔法学校は一つしかない。ただ、そこが大きすぎる為に王都に暮らしている魔導師の学生は、全てここに通う事になっている。初等部、中等部、高等部まであり、生徒の数は約2000人もいる。広さは町一個分位あるのではないかと言うぐらい広い。
「ここが魔法学校か……」
「はい。私も通っている魔法学校です」
クリスは両手を広げて、魔法学校を見せてあげる。
ハクトが通う事になった魔法学校。ここから始まるのかと考える。
「しかし……」
決意を決めたが、急に壁に手を着いて、ガックリと落ち込んでしまった。
「まさか、一日違いだったなんて……恥ずかしくて死にたくなってきた」
そう、今日は魔法学校に通っている人達の始業式であって、新たに通う新入生達の入学式は明日であった。ここに来る途中にクリスからそう教えられてしまい、彼は顔から火が出るぐらいの恥ずかしい事をしてしまったのだ。
「あのバカ母めぇ〜……絶対からかっていたのに違いない……」
ハクトは母親から、今日が入学式だから、早く行った方が良いですよと言われて来たのだが、絶対に明日だって事は知っていたのに違いなかったとハクトは思い、右手を強く握り怒りを表す。
それでも、魔法学校がどこにあるのかだけでも教えてもらう為にここまで来たのだ。明日も迷子にならない様にする為である。
「でも良かったですね、ハクトさん。もし明日でしたら、それはそれで大変でしたよ」
「確かにそうかも知れない……クリスには感謝しないといけないな」
「い、いいえ。私の方こそ、助けて下さったのでしたから。これぐらいの事はしてあげませんと……」
クリスは俯いてしまう。今まで、この様に男子と話をした事がない彼女は、何をどうすれば良いのか分からず、顔を真っ赤にしてしまうのだ。
「クリスも確か俺と同じ中学一年生なんだろう。明日もここで会えそうだな。これからもよろしくな」
「あ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
慌しくお辞儀をするクリスに、つい笑ってしまうハクト。それにつられて顔を上げたクリスも笑ってしまう。
「さてと、学校の場所も分かった事だし、下宿先を見つけないとな。こんなデカい学校なのに学生寮が無いとは思わなかったよ」
本来遠方から来る生徒の為に学生寮ぐらいはあると思っていたハクトだが、クリスの話だと普通の学校にはあるけど、何故か魔法学校には用意されていないみたいで不便だとハクトは思った。
「ハクトさんはどこに下宿するのですか?」
「……確か、あの母親から住所だけ教えてもらったんだけど……」
ハクトはさっきのクシャクシャにしてしまった母親の地図を広げる。その裏には住所らしき文字が書かれていた。
「えぇと……リラ12番地の9‐77か」
「……えっ?」
ハクトが住所を読み上げると、クリスは少し驚いた。
「んっ? どうしたんだ、クリス? まさか、何か曰くのある場所なのか?」
「ち、違います! その、そこは……」
否定をするクリスだが、どうも何かまた嫌な予感がしそうに感じるハクト。
「クリス、正直に言ってくれるか。もう、俺は何を言われても驚かないから」
「えぇと、そこは……私の家です」
「……何だぁ〜、そうなのか。クリスの家なのか。あははははぁ〜……えっ!?」
ハクトは安心したかのように笑ったが、漸く現実を知った。
「な、何だってぇぇぇぇぇぇ〜〜!?」
そして、本日何度目かになる絶叫をするハクトである。
(続く)