キャラメル道場にてハクトはヤナギの背後に回って手刀で首を狙ったが、ヤナギは背後を見ずに防御してきた。ハクトが驚いている間にヤナギは振り返って左の拳を前に突き出した。ハクトはそれを躱して、一気に間合いから離れた。シャーリーの攻撃を知っているハクトは、ヤナギもそれと同じなら腕で受け止めたりしたら逆にダメージを受ける事を知っていたから、回避するしかなかった。
「な、何と!? これは一瞬の出来事でした。試合開始と共にハクト選手がヤナギ選手の背後に入って手刀で決めようとしましたら、ヤナギ選手はまったく振り返らずに防御してカウンター攻撃をするが、ハクト選手はまたしても物凄いスピードで間合いから離れました! 何と言う攻防戦。ちょっとした油断が命取りになるかもしれません」
虎之助は一瞬唖然としていたが、実況者としてすぐに状況を実況する。
「う〜ん、主人はちょっと本気出しちゃったね。その証拠にハクト君の様子を見て下さい」
解説者のマリーに言われて、全員ハクトを見ると、ハクトは咳き込んでいる。ハクトも何故かと思って手で口を押さえて咳き込むと、手の平に赤い物が付いた。
(バカな……ちゃんと回避したはずなのにダメージを受けている)
確かにヤナギの攻撃を回避したはずなのに、ダメージを受けてしまっているのだ。
「すまぬな、小僧。ワシはどうも加減と言うものが出来んでの。ちょっとやっちまったぜ」
ヤナギはニヤリと笑う。
「……化け物だな、おやっさん」
ハクトは心の底からそう思った。
「やっぱり大した事ないな、あいつ……」
壁にもたれていたマークがボソリと呟いた。シャーリーが色々と話していたハクトが、この程度の男だと解ってガッカリした。
するとハクトは少しこっちを見て笑った。マークはこの状況でどうして笑っていられるのか理解出来なかった。
「まったく……おやっさんの今の攻撃、本当に凄いです。シャーリーの拳を受けていましたけど、それ以上ですよ。まさか、躱しても攻撃が当たるなんて……」
「ワシの拳は防御を一切通じない。たとえ小僧がどんなに避けても無駄だ」
ヤナギが構えると、ハクトも気持ちを切り替えて構える。
「次はワシから行くぞ!」
ヤナギがハクトに向かってきた。ハクトは構えてヤナギの動きを観察する。あの攻撃がどの様なものなのかを見極めなければならないからだ。
ヤナギはハクトに拳をぶつけようとすると、ハクトはギリギリで避けた。しかし、何か風に吹き飛ばされた様にハクトの身体が吹き飛ぶ。ハクトは何とか畳みに身体が倒れない様に着地する事が出来たが、今の攻撃にはやはり驚きを隠せない。ちゃんと避けたはずなのにダメージを受けている。ヤナギからは魔力は全く感じないから魔法を使っているとは思えないし、相手は武道専門の男だ。そんな物がなくても拳だけで相手を倒して来たの違いないとハクトは考え直す。
「だとしたら、キャラメル流古武術を使っているのか。だが、シャーリーの技とは少し違う様な気がする」
シャーリーからキャラメル流古武術を見させてもらったけど、どれも大技になる様な物はなかった。シャーリー自身、まだ修行中だと言っていたけど、古武術の継承者であるヤナギの古武術にはシャーリーとは違う何かをハクトは感じている。
「まずはあの攻撃をどんなものかを見極める事が大事だな……だとしたら……」
「さぁ、行くぞ、小僧!」
ヤナギがやってきて右の拳を真っ直ぐぶつけてきた。ハクトは、今度は避けずに身体で受け止めた。腹に決まった攻撃はハクトを畳みに叩き付けた。
「ハクトさん!?」
ハクトが倒れた事にクリスは驚いた。今まで避けていたのに、今のは避けようとせずに攻撃を受け止めようとしたのではないかと思ったからだ。でも、どうしてそんな事をする必要があるのか理解出来ずに驚くしかなかったのだ。
「あぁと! ハクト選手、ヤナギ選手の攻撃をまともに喰らってしまった! これは戦闘不能になってしまったのか!?」
虎之助の実況に誰もがハクトの敗北かと思われた。しかし、ヤナギはハクトから目を離していない。シャーリーはそれに疑問に思った。いつものヤナギなら、担架と救急箱を用意しろと言う筈なのに、それをまだ言っていないし、今でも攻撃態勢に入ったままである。
「いつまで寝ておるのだ。さっさと起きやがれ、小僧。まだ気を失っていないはずだろう」
「………正直言って、今のは効きましたけどね……」
ハクトは目を開けて起き上がった。少しお腹を押さえているが、ダメージはあまり受けていなかった。
「ワシの技を見切る為に、あえて攻撃を受けたか。で、ワシの攻撃の正体、もう解ったと言う顔をしておるな」
「えぇ、なるほどと思いまして、確かにこれなら防御も回避も無意味だと理解しました」
ハクトはどうやらヤナギの攻撃の正体が解ったみたいだ。あれだけの短時間でもう相手の攻撃方法を見切るなんてどんな眼をしているんだ。
「おやっさんの攻撃はある意味達人の域を超えている。シャーリーの攻撃と同じだと考えは最初から間違っていたみたいでした。俺もダメだな……その事で、もう相手の攻撃パターンが解ってしまったと勘違いしていたからこんなにダメージを受けてしまったんだから。まさか、空気まで震動を与えて内側からダメージを受けていたのだから」
ハクトの言葉にヤナギはがっはっはっと笑い出した。
「見事じゃ! 小僧、続きを聞かせてもらおうか」
「おやっさんの拳は二重の攻撃みたいなものでしょうかね。まずおやっさんは攻撃する時、拳の周りにある空気に震動を与えてぶつけようとする。普通なら風の抵抗で震動なんて起こらないけど、おやっさんは抵抗を無効化しているから空気に震動を与える事が出来た。そして攻撃すると、相手が防御しても回避しても、空気の振動まではどんなに強力なシールド魔法でも貫通してしまうから、相手はダメージを受けてしまう。衝撃波とはまた違う原理ですけど、似た様なものでしょうかね」
「正解じゃ。我がキャラメル流古武術『震空拳』。物理と衝撃の二段攻撃と言う事だ。見事ワシの技を見切ったな、小僧」
ヤナギはまるで生徒に教える先生の様に喜んでいる。彼も子供に武術を教えている側として、子供の成長には正直に喜ぶ。
「しかし、これをもしシャーリーの魔法と融合させると、かなり強力になるかもな。何しろ内側からダメージを与えるなんて、シールドブレイクをせずとも防御を打ち砕く事が出来るのだから。そうなれば、シャーリーは良いストライカーとして前衛に出せるからな」
ハクトは顎に手を置きながら言う。
「だとすると、原理は解ったし、俺が出来るかどうかなんだよな。シャーリーに震空拳を教えるには、俺がまず身に付けないと教えられないからな」
両手を握ったり開いたりして、震空拳についてあれこれと考え出したハクト。
「ハクトさん、本気でキャラメル流古武術を覚えようとしているみたいですね」
「……お兄ちゃんならやりそうです」
「まぁ、ハクトだからね」
ハクトに教えてもらっている三人は暢気にそんな事を言い出している。
「あいつ、バカだろう? 親父の技を見ただけで覚えられるわけないだろう」
マークが溜め息と一緒にそう言った。すると、クリスがマークと目線を合わせる様にしゃがんで言った。
「マーク君、ハクトさんはああ言う人なんですよ。教えてあげる人の為にあれこれ考える人で、とっても優しい人なんですよ」
「…訳が分からん」
マークは横を向いて、クリスの顔を見ないようにする。
「まずは……こうかな? いや、違うな……こう? う〜ん……」
ハクトが拳を前に突き出している。どうやら震空拳を本気でやろうとしているみたいだけど、まだコツが掴めていないみたいで、何度やっても首を傾げている。
「試合中に余所見をするとは、良い度胸だ。小僧!」
ヤナギはハクトに向かっていき、震空拳を放とうとする。すると、ハクトは避けもせずに右手を引いて、勢いよく前に突き出してぶつかり合った。
「ぐっ!」
しかし、ハクトは震空拳の衝撃に耐えられず吹き飛ばされて壁に激突した。そのまま地面にうつぶせになって倒れるが、すぐに起き上がった。
「違う……空気の抵抗を無力化させて前に突き出すイメージを作る……」
ハクトはもう一度震空拳を出そうと右手を引いて構える。
「あくまで震空拳をマスターしようとするのか……良いだろう! 付き合ってやるぜ、小僧!」
ヤナギはハクトに震空拳をぶちかましていく。ハクトは何度も震空拳をやろうとするが失敗して、壁に激突して倒れるが、すぐにまた起き上がる。
「どうした、小僧!? まだまだ立ち上がれるだろう! さっさと立ちな!」
ヤナギもハクトが立ち上がるまで、攻撃は一切しない。ハクトはふらふらと立ち上がって構える。
(空気の抵抗は普通では出来ない……だとすれば、一体何が足りないんだ……)
ハクトは息を整えて、冷静になって考える。震空拳は空気の振動を拳に与えて打つ技。そこまでは分かるが、まだ何かもう一つきっかけがあるはずだとハクトは考える。
「この程度か、小僧。だったら、今すぐに戦闘不能にしてやるよ」
ヤナギは最早限界だと知り、拳を握る。その仕草にハクトは何かに気が付いた。
(待てよ……俺はおやっさんの動きを見て出来ると思っていないか? その時点で間違っていたんだ……だとすれば、俺にしか出来ない方法でやるとしたらどうだ? 俺の魔法拳法だって、もとは格闘術だ。それを使わずしてどうする)
ハクトは漸く自分の愚かさに気付いて、くすっと笑った。そして、一度深呼吸をすると、ハクトは左手を引いた。
(俺のやり方でやるとしたら……やはり……)
「終わりだ、小僧! キャラメル流古武術『震空拳』!」
ヤナギは右の拳を前に突き出してハクトにぶつけようとする。
「うぉぉぉぉぉぉぉ〜〜!」
ハクトは気合を入れて左手でヤナギの拳にぶつけた。すると、今度は吹き飛ばされずにその場に留まった。
「こ、これは……まさか!?」
ヤナギはそう言った瞬間、ヤナギが吹き飛ばされて倒れた。それは誰もが驚く事だった。
「ぱ、パパが……吹き飛んだ……」
「まさか……本当に出来たのですか?」
クリスはハクトの方を見ると、彼は息を整えながら両腕を引いている。格闘する人が最後に深呼吸をする時にやる行為である。
「こ、これは何と言う大番狂わせでしょう! ハクト選手の攻撃がついにヤナギ選手にダメージを与えた! しかし、一体何が起こったのでしょうか? 俺っちにはさっぱり分かりません! マリーさんはどう思いますか?」
「そうね。主人は震空拳を使っていたみたいですけど、ハクト君は何か別のやり方をしていたみたいですね。震空拳とちょっと似ている技でしょうか」
マリーもハクトがやった事には気が付いているが、どんなやり方をしたのかまでは分かっていないみたいだ。そして、吹き飛ばされて倒れていたヤナギは起き上がると、、がっはっはっと笑い出した。
「やるではないか、小僧。震空拳とはちょっと違うみたいだが、正しく震空拳を物にしたみたいだな」
「えぇ。今のは俺のアレンジみたいなものですからね。俺が使っていた物と合わせて出来た技ですよ」
ハクトはもう一度さっきと同じ構えをする。
「俺は拳をぶつける時は、左手からだと言う事をすっかり忘れていたぜ。右手にはあれがあるから、慣れていなかったんでした。これは、あの人にフルボッコされそうだ」
ハクトの右手の甲には01があるから、あまり拳をぶつける事はしなかったのに、さっきまでやってしまっていたのだ。そこにハクトは自分自身後悔している。この事をあの人が知ってしまったら、間違いなく半殺しにされてしまうかも知れないからだ。だけど、もう頭も冷えて冷静に自分の武術の構えに入っている。
「……ふっ、小僧。震空拳を物にしたからと言って、あまり調子に乗っていると、ぶっ飛ばされるぞ!」
ヤナギがハクトに迫ってきて、震空拳を放とうとする。
「行きます! 空牙―震―!」
ハクトはさっきよりもかなり速い拳をぶつける。拳がぶつかりあって、衝撃で二人は少し後ろに飛んだ。
「甘いぞ、小僧!」
すると、ヤナギはそのまま回し蹴りを放とうとする。それにも震空拳の様に空気に震動を与えている。
「震空脚!」
「空牙―震―!」
しかし、ハクトもまた回し蹴りで対抗した。しかも、こっちもさっきと同じ空牙と言う技を使っている。
「何っ!?」
「おやっさんの様な達人なら、足技にも同じ技があるとすぐに見抜けますよ。ちなみに、俺の技は手足両用の使える技ですから。魔力を籠めていないから威力はそんなにないですけど、大人を吹き飛ばすぐらいはありますよ」
ハクトの空牙はもともと魔法と格闘術を合わせて出す魔法拳法の一つだが、魔法を使わないと言ったハクトは、今回は拳や足だけで技を出している。
「がっはっはっは〜! 面白い! 実に面白いぞ、小僧!」
ヤナギは大笑いする。こんなに笑う事などなかったヤナギにシャーリーは少し驚いた。
「パパ……本当に楽しそう……」
試合を見ているシャーリーだが、何だか身体がうずうずと震えている。恐怖とは違う何かをシャーリーは感じているのだ。
「シャーリーもやりたくなったの?」
クリスが微笑みながら、シャーリーを見られていたので、ビクッと身体が飛び上がるシャーリー。
「……あの二人を見ていて、うずうずしているよ」
ミントもいつものニコニコ顔でシャーリーを見ている。
「べ、別にやりたい訳じゃないよ……ただ、ちょっと……」
素直にやりたいとは言えないシャーリーは顔を赤くして小さくなった。
「さぁ! ハクト選手とヤナギ選手の激しい戦いが続いています。お互い、拳をぶつけ合い、蹴りをぶつけ合いしています!」
虎之助の実況どおり、ハクトとヤナギはぶつかり合っている。
「小僧! お前に問うぞ!」
「何だ!?」
拳をぶつけ合いながらヤナギはハクトに問いかける。
「お前はシャーリーを強く出来るのか!?」
「俺だけでは出来ないが、みんなと一緒にやって行けば、きっと強くなれると思っています!」
蹴りをぶつけ合い、ハクトは少し吹き飛ぶがすぐに態勢を立て直した。
「シャーリーには、魔導師としても格闘家としても素質はちゃんとありますので、彼女がやる気を出せばきっと強くなれますよ!」
ハクトが一瞬消えてヤナギの横から蹴りを決めようととする。しかし、ヤナギは横から攻撃してくるハクトの攻撃を拳で受け止めた。
「まだまだだ、小僧!」
ヤナギは回し蹴りをしてくる。ハクトは避けて上から踵落としをする。
「とりゃぁぁぁぁ〜〜!」
「ふん!」
ハクトの踵落としを、ヤナギは足を踏ん張って、両手をクロスさせて防御する。
「それだけか!? ワシはお前がシャーリーの事をどう想っているのかを訊いているんじゃ!」
クロスさせた両手を広げて、ハクトの攻撃を吹き飛ばす。しかし、ハクトはそこから回転をして回し蹴りをしてヤナギのわき腹を狙った。
「どう想っているって? それは大切な親友さ。みんなと変わらない、失いたくない者だ」
ハクトは怯んだヤナギに拳を連打する。だが、ヤナギも負けじと拳を連打してくる。お互いその場で足を動かさずに拳をぶつけ合っている。防御を一切せずに顔や腹にダメージを与えていっている。
「両者、一歩も引きません! 連打連打の猛襲です! このぶつかり合いはいつまで続くのでしょうか!? うぉぉぉ〜〜! 見ているこっちまで燃えてくるぜ!」
虎之助の背中から真っ赤な炎が燃えている様に見える。
「頑張れ〜、パパ!」
「頑張れ〜、ハクトさん!」
キャッキャッと応援する双子のエリーとリリー。
「ワシは魔法の事はさっぱりだが、格闘家としてあいつの素質は解っている。だから、ワシと約束しろ、小僧!」
「約束だと?」
「絶対シャーリーを魔導師としても格闘家としても道を間違いない様にする事だ。もしそうなったら、ワシはお前を絶対に許さないぞ」
「……あぁ、分かっているよ、おやっさん。俺の目が黒い内は、絶対あいつを魔導の道を踏み外さない様にするさ。シャーリーだけじゃない、クリスもミントも決して間違えのない魔法少女にしてみせる」
「その言葉、決して忘れるんじゃないぞ、小僧!」
「分かっているぜ、おやっさん!」
ハクトとヤナギは一度連打を止めると、拳に気合を入れて最後の一撃を決めた。お互い顔にぶつかり合って、動かなくなった。
「……良い拳だぜ、小僧。いつでも鍛えに来い」
「……そうさせてもらうぜ、おやっさん」
二人は笑い合いながら、そのまま後ろに倒れていった。
「……ここまでですね」
マリーは二人の様子を見て静かに言った。虎之助は身体を身震いさせて、大きく息を吸い込んだ。
「決着〜! 二人の拳がぶつかり合い二人ともノックアウト! 同時と言う事で、この勝負はドローゲームとなりました! 素晴らしい! 感動した、俺っち! ありがとう、ハクト選手、ヤナギ選手!」
虎之助は号泣しながら実況する。
「ハクトさん、大丈夫ですか!?」
倒れているハクトにクリスが駆けつける。
「いててて……おやっさんの拳、超いてぇぜ……」
ハクトは身体を起こすが、所々に漸く痛みを感じてきて痛がっている。
「……今、治療するのです」
「がっはっは〜、まだまだだぞ、小僧!」
すると、もう起き上がってハクトの所にやってくるヤナギ。あれだけの攻撃を受けていたのにもう立ち上がれるのかよとハクトは苦笑いする。
「大丈夫よ、ハクト。パパは少し強がっているだけだから」
シャーリーがヤナギの背中を叩いてあげると、ヤナギはその場で蹲った。どうやら、本当に強がっていたみたいだ。
「本当だ、パパ痛がっているよ、リリー」
「うん、そうだね。じゃあ、こうしたらどうかな、エリー」
すると、エリーとリリーがパンパンとヤナギを叩きだした。
「こ、こら、止めんか、お前達!?」
双子の攻撃を耐えているヤナギ。それを見ていたハクト達は笑い出した。
そして、その場から離れて見ているマークはハクトを見て呆然としている。
「どうしたの、マーク?」
マリーがマークの傍に来ると、ボソリとマークは言った。
「お袋……俺もあいつみたいに強くなれるのかな?」
「あらあら……ハクト君に影響を受けたみたいね」
笑顔でマークの頭を撫でてあげるマリー。マークにこの試合を見せてあげたのは、どうやら良かったみたいだとマリーは思った。
「最近稽古をしていなくて、いつもゲームをしていた貴方とシャーリーだったけど、ハクト君のおかげでやっとやる気になってくれたみたいね」
シャーリーとマークも、最近まではあまり稽古に来なくなってゲームばかりしていたけど、ハクトがやって来てからシャーリーはもう一度武術をやりだして、今度はマークも稽古をやり出すだろうとマリーは期待する。
「これも、黒狐さんの言うとおりたったみたいですね」
実はマリーと黒狐とは、母親同士で話し合った事があって、すっかり仲良くなったのだ。その時の話題で、シャーリーやマークの事を話してあげたら……
『だったら、うちのハクトを使ってあげて下さい。あの子を道場に連れて行ってあげて、そのマーク君の前で試合をさせてあげれば、きっと影響を受けると思うから。うちの主人と同じ、人を惹きつける事が出来るから』
ニッコリと黒狐はそんな提案を出してきたのだ。まさか本当にこうなるとは思わなかったが、マークのさっきまでのハクトを見る目が本当に変わっている。
「これはお礼の電話をしないとね。あと、あれについて良い話が思いついたって」
クスクスと笑うマリー。その笑いを聞いていないのに、何故か身体がブルブルと震えたハクト。何か、凄く嫌予感がしたからだ。
そして、夕暮れ時まで稽古をさせてもらったハクト達はそろそろ自分達の家に帰る事にした。
「今日は本当ありがとうございます!」
ハクトはヤナギに頭を下げる。
「ワシの方こそ、お前は気に入ったぞ。シャーリーの魔法、よろしく頼むぞ。それと、さっきの約束もだ」
「はい、分かっています。たまにこちらで稽古させてもらいますけど、その時はよろしくお願いします」
「うむ、いつでも来い。がっはっは〜」
大笑いするヤナギが右手を前に出した。ハクトも手を前に出して握手をする。
「リリー、ハクトさん、カッコいいよね」
「うん、やっぱりお姉ちゃんが好きになった人だけの事はあるね、エリー」
「ちょっと、エリー、リリー!」
シャーリーが双子を追いかける。キャッキャッと嬉しそうに逃げ回る双子。
「クリスちゃんもミントちゃんも、また来て下さいね」
「はい、マリーさん」
「……またお邪魔するのです」
クリスとミントもマリーに頭を下げる。
「あ、そう言えば、おやっさん……ちょっと訊きたい事があるのですけど?」
ハクトがある事を思い出して、ヤナギに訊いてきた。
「何じゃ、小僧?」
すると、握っていた握手がきつくなってきた。ハクトが強く握っているからだ。
「シャーリーから聞きましたけど、俺の事最初は女の子だと勘違いしていたみたいですね。しかも、俺の下の名前も間違った読み方をしていたと」
ハクトは笑いながら言っているけど、真っ黒な炎が背中から出ている。クリス、シャーリー、ミントはその言葉に、あっと思った。
「噂?」
「あぁ、魔法学校に東の国から来た虎と兎がやってきたと……」
ヤナギの言葉にクリス、シャーリーはヤバいと思った。ミントは手を合わせて合掌している。
「その兎はなかなかの魔導師だと。そうだったな、マリー」
「えぇ、そうよ。確か、虎之助君がそんな事を言っていたわよ」
「………はい?」
ハクトは今の言葉に目が点になった。
「虎之助君が色々な町に回って、そう言う噂を流していたみたいですよ。そうでしたよね、虎之助君」
マリーが虎之助の方を見ると、みんなも(ハクト以外)虎之助を見る。虎之助はマズいと思ったのか、冷や汗をかなり流しながらそろりとその場から逃げ出そうとする。
しかし、ガシッとハクトに肩を掴まれて逃げられなくなった。ちなみにハクトはまだ虎之助の方を振り返っていない。
「虎之助、どう言う事か説明してくれるかな?」
ドライな言葉に虎之助はガタガタブルブルと身体を震わせている。長い付き合いがあるから、ハクトの怒りゲージがどんどん上がっている事に気付いているのだ。
「い、いや〜! 俺っちも悪気はなかったのですよ。ハクトの事を多くの人に聞かせる為に、あえて俺っちが噂を流してやったのさ。俺っちもハクトの事を世間の皆様方にお伝えしなければと誠心誠意心を込めて噂を流したのです。だが、噂だとハクトがどんな奴なのかと聞かれてしまう事が多かったので、生徒名簿を見せてあげると、お前の下の名前が漢字になっていた物だったのさ。だから、皆さんが君の事をシロウサギだと思って女の子だと間違えられてしまったのだよ。いや〜、間違った噂と言う物は怖いものですな。にゃぁ〜っはっはっはっは〜!」
言い訳以上の何物でもない言い訳をする虎之助。
「ふ〜ん……そっか」
未だに虎之助の方を見ないハクト。しかし、虎之助には見える。ハクトとのその背中からは黒い炎が燃え上がっている事に……
「虎之助さん、頑張って生きて下さい!」
「葬式は盛大にしてあげるわ」
「……骨は拾ってあげます」
クリス、シャーリー、ミントは一斉に合掌する。最早助ける気はないみたいだ。
「タイガーさん」
ハクトが冷たくそう言って、漸く虎之助の方に振り向いた。顔は笑顔であるが、目は笑っていない。
「な、何でしょうか……ハクト…さん……様?」
もうダメだと虎之助はそう思っていたら、ハクトは一息吐いて怒りが静まって掴んでいた肩を離してあげた。
「まったく、お前は……俺の為にそんな事をしてくれたのは良いけれど、ちゃんと訂正してくれないとダメじゃないか。噂の一人歩きは速いのだから、ちゃんとした噂にしてくれないと迷惑になってしまうだろう。お前は放送部の部員なんだから、そんな事をしたらダメだろうが」
そう言って、コツンと虎之助の頭を軽く叩いてあげた。ハクトの行動にクリス、シャーリー、ミントはあれと思った。あのハクトがシロウサギと言われているのに怒っていないのだ。
「そ、そうだよな! 俺っちとした事がついつい……」
「まったくタイガーさんは……あははははは!」
「にゃぁははははは!」
ハクトと虎之助は笑い合った。そして、ハクトは虎之助の両肩に手を置いた。
「あはははは、タイガーさん」
「にゃぁはははは、何でしょうか、ハクト様」
「いっぺん、死んでくれる☆」
ニッコリ笑って、死・刑・宣・告……
「ぎ、ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜!」
只今、絵では全く表現が出来ないほどの暴力行為が行われています。音声のみ拾う事が出来ましたので、ご覧下さい。
「ちょ、ちょっと待て!? にょわ! そ、それだけは、ぎゃばっ! あだだだだだだ! あぁ、何かちょっと気持ち良くなってきたかも……にょわぁぁぁぁ〜〜! そこから、それとは!? ぎ、ぎゃわぁぁぁぁぁぁ〜! あぁ、お花畑が見えてくる……えぇ!? 連れて行けないだと!? 何故、どうして、ホワイ!? 閻魔様、お帰り願いますって、どう言う事ですか!? え、閻魔様がハクトに!? にゃわぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜!」
惨劇が終わり、残ったのは虎之助だった肉塊と、背中に『天』の文字が浮かび上がっている鬼神ハクトの姿だった。
「こ、今回は凄かったです……」
「人の家で殺人現場を作らないでよね……」
「……お疲れ様なのです」
苦笑いするクリスとシャーリーに、パチパチと拍手をするミント。
「おやっさんも、今度俺の事を女の子だと思ったら、これですかね」
スッキリと満面な笑みでハクトはヤナギに向かって、左手の親指を自分の首に横に切ってから下に向けた。
ヤナギは笑っているが背中から出ている汗が止まらない。
「凄いね、リリー」
「うん、凄いね、エリー」
双子はお互いの手を合わせて喜んでいる。いやいや、そこは恐怖で怖がって下さい。小学三年生が死体を見て喜ばないで下さいよ。
「安心しろ。あとちょっとしたら元に戻るだろう。昔はこれ以上の事をしても生き返ったからね」
「失礼な! いくら俺っちでも、今回は流石にヤバかったぞ。閻魔大王様に『コンテニュー?』とか訊かれたんだぞ!?」
「それで、お前は何と答えた?」
「ゲームオーバーとさせて下さいと」
「ちっとはチャレンジ精神を見せろ、このダメゲーマー! 一回負けたからって、すぐに諦めずに何度もコンテニューしやがれ!」
「だって、ノーコンじゃないとEX行けないのですよ! いつになったらEXキャラに会えるのですか。未だにEX出せないのだぞ!」
「まずは何度もコンテニューしながら最後までクリアしやがれ。そしてプラクティスでミスを少なくする練習をすれば良いだろう」
「そんな事をしたって、本番でミスるんだから仕方ないだろうが!」
「このEASYゲーマーが!」
ハクトと虎之助が少し話の脱線に入ってしまっている。そして、いつの間にか復活している虎之助に対して誰もツッコミを入れない。
「と、とりあえず虎之助さんも元に戻りましたし、今日はここで失礼しましょう、ハクトさん」
クリスがハクトの腕を掴んで、言い合いを止めた。
「そ、そうだな……悪い、ちょっとこのダメダメ男に説教しなければと思っていた」
「いや、使いませんから……」
ミントが首を傾げて訊いてきたが、ハクトは即答で言った。
「そ、それでは、本当に失礼しました」
「いやいや、良いのだぞ、小僧。気を付けて帰るのだぞ。最近では魔導師を狙っている奴が王都に現れているみたいだからの。くれぐれも夜道には気を付ける事だ」
その話はハクトも知っている。ここ数日で起こっている魔導師襲撃事件。夜に現れる謎の人物が魔導師を襲い、魔力を奪っているという事件が既に七件も起きているのだ。王国軍も警備を強化しているが、未だに犯人は捕まっていないみたいだ。
「一体、何者なのでしょうか?」
「さぁな……」
ハクトはそう言ったが、心の中ではもしかしたらと考えている。だけど、あれはもう終わっているはずだと考えるのを止めた。
「それじゃあ、シャーリー、また明日学校で」
「えぇ、ハクト。また明日ね」
お互い別れの挨拶をしてそれぞれ家に帰る。
しかし、ハクト達もこの事件にもうすぐ巻き込まれる事を、この時はまだ知らなかった。
(続く)