王都シャインヴェルガもそろそろ夏になろうとしている。
「う、う〜ん……」
ハクトはゆっくりと目を開けて起きようとする。そろそろ起きないと、クリスが起こしに部屋に入ってくる。ぴぴぴと目覚まし時計が鳴り出して、ハクトは手を伸ばして目覚ましを止めて、身体を起こした。すると、右腕に何か柔らかい物に触れた。
「んっ?」
ハクトは目を擦ってよく観察すると、そこには白のワイシャツだけを着ているレナが寝ていて、ハクトの右手に触っているのは、レナの胸である事に漸く気付いたハクトは、すぐに離れた。
「な、なななな……何でレナがここに!?」
顔を真っ赤にして、何がどうしてどうなったのか考えるハクトであるが、運命の悪戯はやはり見過ごすはずがなかったのです。
「ハクトさん、起きていますか? 入りますよ」
コンコンとノックする音にクリスの声が聞こえてきたが、ハクトはそれに気付くのに少し遅れてしまった。だから、返事をする前にクリスが部屋に入ってきた。
「ハクトさ……ん?」
クリスはハクトのベッドで寝ているレナを見つけて固まった。
「い、いや、クリス! 俺も気が付いたらレナが寝ていて! どうしてこうなっているのか、まったく分からないんだ!」
「レナちゃん、ほら、起きて」
「……へっ?」
ハクトはクリスの行動に目が点になった。普通こんな状況になったら、クリスは怒るのではないかと言い訳をしたのだが、クリスはまったく動じず寝ているレナを起こそうとしている。
「う、う〜ん……」
揺すられていたレナはゆっくりと目を開けて起きた。
「…おはよう、クリスちゃん」
「はい、おはよう、レナちゃん」
クリスはレナの頭を撫でながら挨拶をする。レナは撫でられるのが嬉しそうに喜んでいる。そんな状況でもハクトはまだ固まっていた。
「ハクトさん、先に玄関で待っていますので、早く来て下さいね」
「え、あ、はい……」
ハクトはクリスの言葉に戸惑いながら返事をする。クリスはハクトが返事をしたので、そのまま部屋を出て行った。
「……なんか、慌てた俺がバカみたいじゃない」
ハクトは頭を掻きながら、とりあえず朝の練習に向かう為に支度をする。
朝の練習もクリスは絶好調であった。だんだん自分の魔法に力をつけてきて、今ではハクトとの模擬戦闘もかなり出来る様になってきた。
「よし、今日の朝練はこれで終了だ」
制限時間終了の合図が出て、模擬戦闘も終了となった。
「はい、ありがとうございます」
クリスは魔導服から普通のジャージに戻る。ハクトもシミュレーションの結界を解除してからジャージに戻る。
「だいぶ出来る様になってきたじゃないか。基礎もしっかりしてきたし、模擬戦闘も充分出来る様になって来ているよ」
「ありがとうございます。でも、まだまだです。それより、ハクトさん」
「何?」
「何だか、今日は少し軽かった様な気がするのですけど……」
クリスがジト〜と目を細めてハクトに言うと、ハクトは少しドキッとした。
「そ、そんな事はないさ。今までどおりの練習メニューを作ってあげたけど……」
「いいえ、明らかに練習量が減っていました。ひょっとして、今朝の事を気にしているのですか?」
「……いや、まあ…そうだな……」
ハクトは今朝の事でクリスが少し怒っているのではないかと思って、少し練習量を減らしていたのだ。その事にクリスは怒っている。
「ハクトさん、確かにレナちゃんがハクトさんの部屋にいた事は少しだけ驚きましたけど、それは仕方ないのかもと思ったのですよ。レナちゃんは3年間ハクトさんと会っていないのですから、それで淋しかったのではないのでしょうか?」
「淋しい? あいつは俺の事を憎んでいたのに?」
「それはハクトさんの事情を知らなかっただけですよ。今ではレイさんはハクトさんの中にいるって分かっていますし、やっぱりお姉さんが好きになった人をそう簡単に憎む事なんて出来ないと思います」
確かにクリスの言うとおりである。実際、今のレナはハクトの事を完全に憎んでいないし、今朝みたいに無防備にハクトの隣で寝ていた。
「だから、私はレナちゃんがハクトさんに甘えても気にしませんから」
「……そうか。ごめん、お前に気を使わせてしまって」
「いいえ、私も何だかハクトさんに迷惑をかけたみたいで、ごめんなさい」
「いや、クリスが謝る事じゃないさ。とにかく戻ろうか。早くしないと学校に遅れてしまうぞ」
「はい!」
ハクトとクリスは急いで自宅で戻っていった。
「ただいま」
クリスが玄関の扉を開けてただいまを言うと、おかえりなさいとレナの声が聞こえた。
「レナ、起きてたの…かぁ!?」
ハクトがレナの姿を見て驚いた。もちろん、クリスもレナの姿に驚いている。だが、当人であるレナは何故ハクトとクリスが驚いているのか理解出来ず首を傾げている。
「ど、どうしたの…じゃない。何だ、その格好は?」
「???」
レナは再び首を傾げる。そう、レナの格好は普通の服ではない。黒と白のメイド服を着ている。以前、黒狐とカリムが着たメイド服を少し小さめにしてレナに着られる様にしているのだ。
「レナちゃん、どうしてメイド服を着ているの?」
「やっぱりあの人か……」
ハクトは今何処かでニヤニヤと笑っている黒狐を思い浮かべる。
レナがスカートの裾を上げてハクトに訊いてきた。
「ま、まあ…似合っているんじゃないか……」
ハクトは少し頬を赤く染める。
「うん、レナちゃん、可愛いよ」
「ありがとう、クリスちゃん」
くるりと一回転するレナ。
「私も着てみようかな……」
クリスがレナのメイド姿を見て、ボソリと呟いた。頼むから勘弁してくれとハクトは心の中で言った。
「レナちゃん、こっちを手伝ってくれるかしら?」
すると、リビングがある部屋からカリムの声が聞こえた。レナはばたばたとリビングへと向かった。
「とりあえず、クリスはシャワー浴びてこい」
「あ、はい……」
クリスはいそいそと浴室へと向かっていった。ハクトは溜め息を吐いてから、自分の部屋で準備をする。
朝食を済ませたハクトとクリスは玄関で靴を履く。二人とも夏服に変わっている。ブレザーを着ず、白い半袖のシャツを着て、クリスは紺色のベストを着ていて、黒いマントを羽織っている。
「このマントは本当に暑いんだけどな……」
「仕方ないですよ。これは魔導師の証ですから」
マントは魔法学校の生徒である証であるので、登下校中はちゃんとマントを羽織らないといけない。
「それじゃあ、レナ。行ってくるよ」
ハクトは見送るレナに言った。レナは少し淋しそうな表情をしている。
レナはハクトのマントを掴んだ。
「ごめんね、レナちゃん。お母さんも編入手続きをしてくれているのだけど、編入は新学期にならないと出来ないみたいなの。だから、まだレナちゃんは学校に通えないの」
カリムや黒狐がレナを魔法学校に通わせようとしてくれているみたいだけど、どうも学期の途中で編入させるわけにはいかないみたいなので、新学期になってからでないと編入出来ないみたいだ。だから、レナが魔法学校に通える様になるのは、2学期の9月からである。でも、今は6月であるので、まだ3ヶ月ぐらいあるのだ。
「そう言うことだ。だから、そろそろ放してくれないかな。これじゃあ、動けないのだけど」
「……分かった」
レナはマントを掴んでいた手を放した。
「今日は学校が終わったらすぐに戻るからな。大人しく待っていてくれ」
ハクトはレナの頭を撫でながら言った。レナは頬を赤く染めて嬉しそうに頷く。
「それじゃあ、行ってくる」
「……いってらっしゃい」
レナにいってらっしゃいと言われて、ハクトとクリスは魔法学校に向かった。玄関で一人になったレナは嬉しそうにカリムや黒狐がいるリビングに向かった。
「レナちゃんも黒狐と一緒にテレビ見ていて良いからね」
カリムは朝食で使った食器を洗いながらレナに言った。黒狐はソファーに座ってお菓子を食べながら(朝食も食べておきながら)テレビを見ている。
「あの、何か手伝う事はありませんか?」
レナは洗い物をしているカリムに訊いた。
「良いのよ、ゆっくりしていて良いから」
「いえ、私はここでお世話になる身ですから、何かしないといけないのです。それに、このメイド服はお仕事をする為の戦闘服と聞いています」
「黒狐……あんた、レナちゃんに何を教えたのよ?」
カリムはソファーにいる黒狐を睨みつける。
「おぉ、何と言うメイド魂! 黒狐ちゃん、感動しました!」
黒狐は目にハンカチを当てて泣くマネをしている。
「それじゃあ、食器を直してくれるかしら?」
「はい」
カリムは洗い終わった食器をレナに渡して、食器棚に戻すレナ。
「本当、どこかのお菓子を食べている誰かさんとは大違いだね」
「本当、誰の事なのかな?」
黒狐はお菓子を食べながら言っている。カリムは一枚の皿を黒狐目掛けて投げると、黒狐はパシッとお皿をキャッチする。そして、また後ろを見ずにお皿をレナに向けて投げ返すと、レナはキャッチして何事もなく食器棚に戻した。ハクトが見ていたらツッコミを入れていただろう。
「おはよう! 我が心の友よ!」
「……誰?」
教室に入ると、黒髪の少年が挨拶をしてきたが、ハクトは首を傾げて訊いた。それにより、黒髪の少年はガクッとこけそうになった。
「俺っちだよ!」
「あぁ、あぁ……悪い悪い、ええと、猿之助?」
「虎之助だ! 猿之助は俺っちの兄貴の名前だ!」
「えぇ!? いたの!? うわ〜、わざと外そうとした俺が恥ずかしいじゃねえか!」
ハクトはわざと間違えようとしたのに、まさかいるとは思わず驚いた。
「虎之助さん、おはようございます」
「何だか、虎之助を見るのも久し振りって感じだね」
「……タイガー、十八話以来の登場なのです」
「ほへっ? 俺っち、二十二話や二十五話ぐらいに出てませんでしたっけ?」
「……何の話だ?」
ハクトはクリス達に訊くが、みんな首を傾げる。メタ発言は勘弁して下さい。
「まぁ、良いぜ。時にハクトよ、あとでインタビューに答えてもらうぜ」
「インタビュー?」
「実は放送部で、魔導師襲撃事件について取材して来いと言われてきてね。ぜひとも、お前達にインタビューを取ろうと思っている」
「そんな事を何故俺に?」
「今日のお昼に放送部でラジオをする事になってな。それでテーマに魔導師襲撃事件についてと出ておってな。それで、お前をゲストとして招きたいと部長や先輩から言われちゃってよ」
「……悪いけど、断る。見世物かつ公開処刑物は困るんだよ」
ハクトも前の魔導師襲撃事件などで訊かれる事はあまり気が進まないのだ。何故なら、あれは3年前の大事故やレナの事も話さなければならないから、それがレナやレイを苦しめてしまうのだ。
「うっ、断られると思わなかったぜ」
すると、虎之助はハクトと肩を組んで二人だけで内緒話をする。
「大丈夫だぜ。ちゃんとお前に報酬を用意してあげるからさ」
「何だよ、報酬って……」
「それは、これさ」
虎之助は一枚の写真をハクトに見せる。虎之助はニヤニヤとしている。これでハクトのゲスト出演をゲットだぜ!
「……誰の写真だ、これ?」
しかし、ハクトは動揺もせずに虎之助に訊いてきた。
「ほへ?」
虎之助は写真の中身を確認して、一瞬にしてその写真をハクトから奪い取って、ハクトから離れた。
「おい、虎之助?」
「ちょちょっ!? こ、こここここ……こけ〜! こっこっこ!」
「ニワトリさんになっていますよ。大丈夫ですか、虎之助さん?」
「……壊れたのです」
「ちょっと、何の写真なのよ。見せなさいよ」
クリス、ミント、シャーリーは虎之助が持っている写真が気になって見に行こうとする。しかし、その瞬間、虎之助が急に消えてしまった。
「んっ? 虎之助は?」
「あれ?」
消えた虎之助に、ハクトやクリス達は首を傾げた。
(続く)