「ふぁ〜……おはよう……」
髪がぼさぼさの黒狐が欠伸をしながら台所にやってくる。
「おはようじゃないでしょう。もうお昼よ」
時計は11時を指している。
「あれ? まだ11時だったんだ。私にしては早い方だね」
「……こらこら。ニートみたいな事を言ってるんじゃないわよ。その服みたいな事をしたら許さないからね」
カリムは黒狐が着ているTシャツを見る。『働いたら負け』とロゴが書かれているTシャツにクリーム色の短パンを穿いている。
「大丈夫よ。今日は協会の仕事はないのだから、ゆっくり休ませてよ」
「それでも、ちゃんと早寝早起きをしているハクト君やクリスを見習いなさいよ」
カリムは今昼食の準備をしている。
「カリムさん。庭の掃き掃除、終わりました」
すると、庭に続く窓からレナがやってくる。
「ありがとうね、レナちゃん」
「いえ。あ、黒狐さん、おはようございます」
「うん、おはよう、レナちゃん。いつも早いね」
「いいえ、そんな事はありません」
「レナちゃんも言って良いのよ。寝坊しているのは貴女の方ですと」
「ふふん。レナちゃんは良い子だからね。私にそんな事を言わないよね」
「……黒狐さん、寝坊です」
びしっと言ったレナの言葉に、まるで心臓に銀のナイフを突き刺された様に黒狐は苦しんだ。
「そ、そんな……レナちゃんが母親に向かってそんな事を言うなんて。まるでハクトみたいじゃない」
「くっ……やっぱりハクトね。お母さん、悲しい。ハクト〜〜!」
黒狐が部屋にいるハクトを呼びつけようとするが、反応がない。
「ハクト〜! ハ〜ク〜ト〜さ〜ん! シロウサギ〜〜!」
黒狐がついに我慢出来ず禁断の言葉を叫んでしまった。しかし、まったく反応がない。
「それを早く言ってよね。帰ってきたら真っ先にぶっ飛ばされるじゃない。それにしても、休日だと言うのに魔法の練習だなんて」
「……それって、カリムさん。子供達がデートしに行ったのではないでしょうか?」
黒狐が昼食を作っているカリムに訊く。
「えぇ、そうよ……本人達はちょっと散歩に行くと言っていたけど、どう考えてもデートだよね」
ガンガンと何かを叩く様な音が聞こえた。黒狐はまさかと思って、そ〜とカリムの背後から見てみると、何も乗っていないまな板を包丁で叩いている。
「ちょ、ちょっと……カリムさん? お昼ちゃんと作ってね」
「えっ? あ、ごめんなさいね……」
自分が今何をやっていたのかすっかり忘れているカリム。黒狐はカリムの怖さを知っている。学生時代にもたまにこういうカリムを見た事がある。主にカイトの事で……
すると、電話の音が鳴りだした。カリムは包丁を置いて電話を取った。
「はい。こちらラズベリーですけど……はい…黒狐ですか? 少々、お待ち下さい。黒狐、貴女に電話よ」
「私に? 協会から?」
「いいえ、違うわ」
カリムも電話の相手を知らないので、仕方なく黒狐に代わってもらう事にしたのだ。
「しょうがないわね」
黒狐は面倒くさそうに電話を取る。
「はいは〜い! みんなのアイドル、黒狐ちゃんです☆」
さっきまでだるそうな感じだったのに、いきなり可愛く電話をする。流石に引くわよとカリムは思った。
『ほぉ〜? 随分と元気じゃのう』
「っ!?」
しかし、電話から聞こえた女の声を聞いた瞬間、黒狐は急に顔から冷や汗がどばどばと出始める。
「な、なななな……何で?」
『何、たったいま近くに来ての。ちょっくら挨拶でもしようかなと思ってな?』
「ふん!」
黒狐がいきなり電話を思い切り叩きつけて切ってしまった。
「く、黒狐!?」
「ごめん、カリム! ちょっと私、しばらく旅に出るわ!」
「えっ!? ちょっと、どう言う事よ、黒狐!?」
黒狐は魔導服に変身して、一目散にここから離れる為に玄関の扉を開けた。
「……聞いてなかったのか。わしは今、近くに来ておると」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?」
ドアを開けた瞬間、そこに立っていた女を見て、黒狐はムンクの叫びの様に驚いている。まさか家の前で電話をしていたと言う事ですかと黒狐は声には出せないけど、とりあえず突っ込んでおいた。そしてもう一つ言っておく事があった。
「ハクト〜〜! 逃げてぇぇぇぇ〜〜!」
「っ!?」
ハクトは何か感じ、空を見上げる。
「どうしたのですか、ハクトさん?」
「……いや、何か嫌な予感がした様な気がして……」
どうも全身から恐怖が出てきて、両腕で身体を抱く様にしているが身体の震えはまったく止まらない。
(ま、まさか……あの人がここに来ていると言うのか? いやいや、そんな事はありえない。だって、ここはシャインヴェルガだぞ。東の国『時鷺国』ではないんだぞ。ありえない、絶対にありえないから)
ハクトはそんな事はありえないと首を振る。
「本当に大丈夫ですか? どこかで休みましょうか?」
クリスがまだ身体が震えているハクトに休む様に訊いてきた。
「いや、もう大丈夫だ……俺の気のせいかも知れないから」
「そうですか。良かったです」
「すまなかった……せっかく遊びに行こうって誘ったのに」
「良いのですよ……(それに、これってもしかしてデートだよね……)」
クリスは少し頬を赤く染める。ハクトが自分を誘ってくれた事が嬉しいのである。その事もあるので、クリスは少しおめかしをしている。二人は今、バルゴの町にあるショッピングモールを歩いている。ここには洋服店やゲームセンター、映画館に喫茶店など様々なお店があり、休日となると人もかなり集っている。今ハクト達は洋服店などを見て周っている所である。
「うわ〜。この服、可愛い……」
クリスがあるお店の洋服を見ている。夏になってきているので、夏物の洋服がずらりと並んでいる。
「で、でも……やっぱり高いね」
可愛い物ほど高い物はない。値段を確認したクリスが溜め息を吐く。
「だったら、試着ぐらいしたらどうだ?」
ハクトがそう言うと、クリスはどうしようか考える。
「わ、私に似合うのでしょうか?」
「それは俺が決める事だ。それに似合うと思うよ」
「…わ、分かりました。試着してみますね」
クリスは決心して、洋服を持って、試着室に向かった。
「す、少し時間が掛かってしまうかも知れませんけど……」
「あぁ、大丈夫だ。ここで待っていてあげるから、ゆっくり着替えても良いよ」
「そ、それじゃあ。失礼します……」
試着室に入って、クリスは早速服を着替える。今着ている服を脱いでいく。
(そ、そう言えば、試着するなんてシャーリーとミントと三人で買い物する時以外だよね。い、今外にはハクトさんがいるんですよね。ど、どうしよう……)
クリスは服を脱ぎながら考えている。そして下着だけになって、試着する服を着ようとする。一方外で待っているハクトは近くの壁にもたれて立っている。
『ねぇ、ねぇ……ハクト』
(んっ? どうしたんだ、レイ?)
メフィレスの事件後、01からレイの声が聞こえる様になったのだ。ドライブエンジニアのジンの話だと、今までレイの意思はドライブの奥で眠っていたけど、メフィレスのナイトメア。シャドーでレイと会った時、眠っていた意思が目覚めて、この様に念話で会話する事が出来る様になったのだ。
『クリス、今着替えているんだよね』
(何が言いたい?)
『それはもちろん、今こそお約束の時だよ、勇者ハクトよ!』
(アホか!? そんな事、出来るわけないだろう!)
『えぇ〜? せっかくデートをしているのだから、それぐらいのハプニングは必要でしょう?』
(お前、だんだん母さんに似てきたな。あと、デートとか言うな)
『んっ? これはデートではないのですか?』
(いいえ、ただの散歩です。変な誤解をしないでくれるか)
ハクトもこれはデートではないかと考えてしまうと、顔を少し赤くなってしまうから、これはデートではないと自分に言い聞かせている。
『はぁ〜、クリスもかわいそうに。こんな甲斐性なしに付き合わされてしまうなんて。しくしく……』
(お前な……)
レイがハンカチをそっと目に当てて泣いている様に、しくしくと言っている。
「あ、あの…ハクトさん……着替え終わりました」
試着室のカーテンが開いて、クリスが試着した服で現れた。黒の半袖の上着に白のワンピースを着ている。少し恥ずかしそうにしているクリスに、ハクトは呆然としている。
『ちょっとハクト……何か言ってあげなさいよ』
レイに言われて、ハクトはハッと戻ってきた。
「え、ええと……すごく似合っているよ」
「ほ、本当ですか? あ、ありがとうございます」
クリスはハクトに似合うと言われて嬉しくなる。ハクトは頬を掻いている。
「あ、あのさ……その服、買ってあげるよ」
「え、ええ!? い、良いですよ! そこまでしてもらわなくても!」
「いや、すごく似合っているからさ……その、最近魔法も上達しているからさ、ご褒美と言うのでどうかな?」
「う、うん……でも、大丈夫なのですか? け、結構なお金ですけど」
「それに関しては大丈夫。母さんのカード持っているから」
ハクトは財布からゴールドカードを出す。
「良いの、黒狐さんのカードを使って」
「息子の為なら喜んで私のお金を使って良いよって渡された。それに、女の子のプレゼントで使ったとなったら破産しても良いなんて言ったからな」
「あははは。黒狐さんなら言いそうね。それじゃあ、お言葉に甘いさせてお願いしましょうかな」
「あぁ、そのまま着ていくか?」
ハクトが言うと、クリスは自分の姿を見て顔を真っ赤にする。
「き、着替えます!」
クリスは恥ずかしくて試着室に入っていった。
「別のそのままで良いのに……んっ?」
ハクトはあるコーナーを見て、試着室を見る。少し考えてハクトは少し笑った。
洋服の紙袋を持つハクトとご機嫌のクリス。
「ありがとうございます。大事にしますね」
「あぁ、それは嬉しいよ」
「今度一緒にお散歩する時は、その服にしますね」
「そうか。だったらさ、今度はこれも付けてみて」
ハクトが紙袋から赤いリボンを取り出した。
「これは?」
「クリス、腕を出して」
ハクトに言われて、クリスは右腕を前に出すとハクトは赤いリボンを巻きつける。
「これでよしっと。うん、やっぱり似合っているよ」
「……嬉しい」
クリスは嬉しすぎて涙が零れる。
「何だか、色々な物を貰って、逆に今度は私がハクトさんにあげないといけないですね」
「その必要はないさ。俺がそうしたかっただけだからさ。気に入ってくれて何よりだよ」
「ハクトさん……はい、嬉しいです」
涙を拭って笑顔になるクリスにドキッとするハクト。
「……んっ?」
家の前に到着したハクトは誰かが倒れているのが見えた。クリスもそれに気付いて見てみる。
「あれは……黒狐さん!?」
倒れているのは黒狐である。クリスは慌てて倒れている黒狐に声を掛ける。
「黒狐さん!? どうしされたのですか!?」
「……ハクト……奴が……奴が来た……」
「っ!?」
ハクトはそれだけで理解して驚き、身体が震え出した。まさか、本当に奴が来ているなんて思わなかった。
「悪い、クリス! ちょっと俺、しばらく旅に出る!」
「えっ!? ちょっと、ハクトさん!?」
ハクトが荷物を置いて、その場から脱走しようとした瞬間、ハクトの目の前にあの女が現れた。
「どこに行く気じゃ、ハクト」
「なっ!? いつの間に!?」
女は右腕に炎を纏って、ハクトを殴り飛ばした。殴り飛ばされたハクトは地面に手を着いて何とか受身を取る事が出来た。
「ほぉ〜、ちゃんと受身を取ったか。まぁ、手加減してやったからの」
「あぁ、でしょうね。普通だったら絶対に死んでいたよ」
「ハクトさん、この人は一体何者なんですか?」
「……俺の先生だ。魔戒神生流第十四代目継承者、桜崎紫子」
目の前にいる女性――紫子はにやっと笑う。
「桜崎って……」
「……俺の母さんの母さんだ」
「……え、えぇぇぇぇぇぇぇ〜〜!?」
(続く)